再食です。
こちらを食したので比較のため間をおかずに。
本来は同時に食べ比べるべきなのでしょうが、
本来とか厳密とかに拘りはないので。
以前のログ。
以前ったって、パッケージすら変化なしの最近ですね。
で、比較結果なんですけど。
車って、70年代のデザインとかサイズ感が、とてもしっくりくるじゃないですか。
精々90年代前半までかな。
マンマシンインターフェイスというか、身体性というか、人間が機械に血を通わせる事が出来るとするならば、ギリギリのサイズ感だったころ。
CADとか無かった頃の、1/1クレイモデルでデザイナーが粘土削ってた時代の。
2,3歩で周りを歩けて、両手を広げれば懐に収まるんじゃないかって気すらする、どこか有機的な隙のあるフェイス。
当時のクルマは大半がそんな機械でした。詰め切れてないからこその体温や息遣いを感じられるような。
その後、求められるのはアジリティより絶対的動力性能競争になり、更に、時代の要請で安全性能が叫ばれるようになり、車はドンドン肥大化していき、今に至ってます。
幾つかの軽が魅力的に映るのは、どうしたって自然な感覚です。
コンパクトでシンプルで軽くて、人の生活と笑顔が中心にあるかんじ。
(一部オラオラ系軽は除くw)
対車の衝突安全では分が悪いですが、道を走る乗用車全てが軽なら、一方的にくちゃくちゃになる事も無いのに。
自動ブレーキはおろか、ABSもATすらも無い、勿論TVなんか付いてない。
コキコキとMTを操りながら、軽い箱をひらひら走らせる楽しい緊張感。
居眠りなんかする間もなく運転に集中できて、車の状態と対話できるから、寧ろ安全。
快適装備が増せば増すほど、運転が緩慢になり注意力散漫になり、軽微な事故は増えたんですよね。誤発進事故なんて、MTが過半だった頃は皆無だった。
そんな事に思いを馳せました。
美味しいんですよ。今のいか焼きそば。
ですが、こうして復刻版と比較するに、過剰さを感じました。
まさに「濃い濃いソース」ですよ。
人類の進歩は濃い濃いなのか?
資本主義による成長は、濃い濃いから逃れられないのか?
地方移住とか、ミニマリズムとか、ノマドライフとか、シェアリングエコノミーとかが若者に響くのは、
濃い濃いへの反動だと思うんですが。
どうでしょう?