この批判構造は、登山やモータースポーツへなどの所謂リスクスポーツへの批判との近似性を感じた。
発生事故が全て当事者の自己責任とも言い切れなくとも、当事者がリスク覚悟で臨んでるのは同じ。
当事者にとって、リスクをコントロールする事で得られる快楽が、そのリスクを上回るのだから仕方ない。
何事もないうちは『自分は大丈夫』とのバイアスも働いてる。
一方で、当事者以外からすると危険行為とわかっていて衝動を抑えられない愚行に過ぎない。自分らは理性で快楽欲求を抑え、やらない選択をしているのに。
だからいつでも両者は永遠に平行線。
そりゃ、やってみなきゃ分からない事もあるだろうし、やらなくてもわかる事もあるだろうが、体験価値(リターン)とコスト(リスク)とのバランスは価値観次第。
しかも価値観はライフステージや経験を積む事でも変わるから、年寄りが若者を批判するのは、そもそもナンセンスで御門違いである事も多い。
極端な話、その国の法を犯さなければ何しても良いのだろうし。
「タンデムで彼女とツーリング最高!」
「あんな危険な乗り物に彼女と乗るな!」
「サーキット場で重大事故発生」
「好きでやってんだから同情しない」
いつか彼女(監督)とタンデムでお出掛けしたいなぁ。との思いや葛藤が、全く無いわけではないので、改めて考えさせられた。