Cult Racing diary

Cult Racing log book

バイクは危ない、からこそ。

岡山国際

okayama-international-circuit.jp

エスケープ無し。

 

中山サーキット

www.nakayama-circuit.com

コンクリの壁に囲まれてる。

 

どちらも走ったことはないです。

ですが、走るまでも無く、話を聞くまでも無く、動画や写真でヤバさは伝わります。

 

アメブロやFC2で、それなりのPVを頂いていたブログを書いてた頃は、コースと運営における安全性向上について、何度となく、言葉を選ばず書いてました。
それにより敵も多く作りましたが、当時ホームコースだったFSWでは会社側の責任者ともMTGを行い、2輪のクラス分けに繋がる一助となったと自負します。
(それも好ましくないと思っている方も多いかもしれません)

はてなで書き始めてからは、こうした話題を避けて、自閉気味のほっこりブログを志向して参りました。
「サーキットリスク」について、自己責任だの危険覚悟だからリスペクトされるだの、そうした精神性に立脚する議論や着地は、もううんざりしたからです。

 

この春、プロライダーが立て続けに亡くなりました。

危険なコースでは走るべきじゃないです。

オートバイレースが安全な競技じゃないことくらい、百も承知です。

ですが、出来るだけそのリスク要因となることは減らしませんか?

 

プロが率先してその活動を行ってほしい。
例えば、岡国での全日本は選手会全員ボイコットとか。

コース改修するまで走らないと決めるとか。

 

鈴鹿WGPが開催されないのは、コースが危ないからでしょ?
それであれば、既にmotoGPと遜色ないタイムで走るJSBも危ないのではないでしょうか?
8耐?モテギでやればいいじゃないですか。

アスリート・ファースト、ライダーズ・ファーストにならない競技がスポーツと認められないのは当然。それは、興行と呼びます。


当事者がそれで良いなら仕方ないですが、日本におけるバイクレース界の地位向上は諦めるしかないでしょう。

ところでこちら、GP優勝経験のある元ライダーのご意見です。

「《Road Race の原点を紹介》
昨今の過剰な危険排除主義とは縁遠いコースだ。

いつから僕たちは「安全、安全」と口走るようになったのだろうか?

人間も家畜化されて、安全な「人舎」に入れられ、生活してしまったのではないだろうか?

「人舎」に入れば、危険も感動も感激もないが、エサにはありつける。

Agostini & Ceccoto の戦いは、ヤングライオンが王者に立ち向かう姿に似ている。

「安全?」そんな事を考える余裕はない。「生き様」と「能力」を存分に発揮できるかどうかが一番大事だ。それが一番生き死にに関係すると知っている『戦士』が彼らだ!」

 

危険じゃないと、感動も感激も無いのか?

この老害に代表される価値観が、自分たちの首を絞め続けていることに気づけよ。老害たち。

老害自死するのは勝手だが、お前らの懐古主義で若い才能を散らさせるな。

葬列に参加したライダーや関係者達が、故人との想い出を弔辞が如くfbやtwitterに書いてます。
締めくくりは「また会おう」。

会うなよ。100年誰もそっちへ行かせない為に、皆でなんかしろよ。